2011年7月23日土曜日

21歳の夏、豊島園にて

 大学三年時の夏、私は自分のイメージキャラクターとして、「グリーンジャイアント」を採用していた。「グリーンジャイアント」とは、当時盛んに流れていた同名のコーン缶詰CMに登場する、野菜の王様という設定の緑色の巨人である。つまりグリーンジャイアント。決めゼリフは「ヨウホウホウ」で、低音が魅力であった。これが何故私のイメージキャラクターだったか。単純にでかいからである。ジャイアントと名乗るだけあって、引力? 聞いたこと無いねえ、とうそぶいて農家の子供達を手の平でもてあそぶぐらいにはでかかったからである。身長194cmの私は、大学に入った辺りからむしろ積極的に自分の身長を利用するようになり、シャザーン、ハイタワー、ハイリホー、山のフドウ等、三ヶ月単位ぐらいで手当たり次第お気に召すままにイメージキャラクターを設定していたのだ。
 どう使うかを説明しよう。例えば所属していたサッカー部の練習前、
「ねぇ、グリーンジャイアント、今日の練習めちゃくちゃきついらしいんだ。お前の力で楽にしてくれよ。これからはピーマン残さないって約束するから!」
 などと聞かれる。というか聞くように仕向ける。ちなみに本物のグリーンジャイアントが野菜嫌い撲滅を使命としてたかは全くご存じ無い。そして答える。
「ヨウホウホウ」
 練習後、また聞かれる。
「何だよグリーンジャイアント、楽どころか今期最高にきついじゃないか! お前もパパやママと一緒だ! みんな嘘つきだ!」
 もちろんこう答える。
「ヨウホウホウ」
 字面では表現しきれないのが残念だが、二回目のヨウホウホウはことさら元気良く言った方が、大飯喰らいのうつけ者という雰囲気が出て効果があったことをお伝えしたい。
 
 こんな風に書くと何やら楽しげな学生時代のようだがとんでもない。私はこの時期、それまでの人生で一番腐っていた。今もって納得がいかないが、当時私は大学の体育会サッカー部において、最下層に位置づけられていたのだ。
 最下層とは具体的にどういうことか。練習試合があるとする。部員約8090人なのだが、マネージメント専任や怪我人やなんやで実働が75人としよう。まずいわゆるレギュラー11人が試合をする。その後、二本目と呼ばれるその次にうまい11人が試合をする。ここからは前後半やらせてもらえず、半分のみで我慢しなければならない。それが終わるとその次は三本目、その次はさらにその下(この辺りから本人のプライドをおもんばかってか、本目という呼び方はしない)、またさらにその下、そのまたさらにその下。この時点で66人が試合に出ていることになる。残りは9人。もう試合は組めない。その中に私がいた。朝はあんなに元気だった太陽も、すでに悲しげな西日となっている。技を競う相手も時間も存在しないのだ。
 大学に入った最初の年までは、自分の出番が遅かろうが無かろうが部員全員が同じ時間に集合し、試合の終わった奴から帰る決まりになっていた。そのため、初めの内こそ期待をかけられていた私だったが、梅雨頃からどんどん帰る時間が遅くなり、ついには練習試合とは日の移り変わりを友とし、「ああなるほど、お日様ってのは東から昇って西に沈むんだなぁ」と深く実感するだけして、全く運動せずに帰る日になってしまった。友が躍動の汗を光らせるのを尻目に、憔悴とあきらめの汗が腋の下でにじんでいくのは、なかなか言葉には出来ないものがあった。
 二年生になってからは、いくら何でも無駄だということで部の方針が変わり、試合に出してもらえない人達は、試合の始まる前に集まって練習をすることになった。朝7時から9時ぐらいまで練習して、後は試合をする人のためにグランド整備して明け渡すのだ。練習後に計78時間にも及ぶ試合を全部指くわえて見てろというのも忍びなかったようで、グランド整備が終わったら自由解散ということになっていた。
 
 そして大学三年の夏休み、秋のリーグ戦に向けてチームの骨格もいよいよ固まりつつあり、自分は体も心もそこから海王星ぐらい離れているところで、あ、今のプレー良くない? 冥王星ぐらいまでは近づいたんじゃない? スイキンチカモク系? ぐらいしかすることがない日々を送っていた。ある日練習試合があり、いつものように7時集合を言い渡された私は、眠い目をこすってグランドに行った。そこにはちょうど同じぐらいの腐り加減の、死んだ魚の目を持つ友がいる。
「俺さ、ガキの頃ラジオ体操絶対出ない主義だったんだよね。あんな朝っぱらから運動なんかできるかって思っててさ。でも今こんなに……
のっけからイヤな話である。全体的にこんな雰囲気なので、練習が盛り上がるはずもない。だいたい少人数制を余儀なくされているので、練習内容も限られてしまう。さらにコーチにも「こんな朝から練習見る俺らの身にもなってみろ」的な態度があふれかえっており、こちらとしてもその気持ちが十分理解できるという、誠にねっとりとした状況である。一番嫌なのは、トイレか何かでいったんグランドを出て、再びグランドに戻る瞬間だった。目に入るのは十人に足りない仲間達。広いグランドが余計にぽつねん感を醸し出す。俺はこれからこのしみったれた風景の一部になるんだ、いつかこのやりきれなさは燃えさかる反骨心に変わるんだろうか、俺をここから助け出してくれるんだろうか、そう思いながらただただ練習と暑さをやり過ごした。
 
 練習後にシャワーを浴びていると、一人が話しかけてきた。
「ねぇ、グリーンジャイアント……
「殺すぞ。今日はグリーンジャイアントは休みだ。ナイフの瞳を持つ男と呼べ」
「まぁいいからさ。お前、どうせ今日この後ヒマだろ? プール行かねえ?」
「プール」
素っ頓狂な返事だが、これは当時の私がいかに俗世から遠ざかった生活をしていたかを表している。大学に入ってからこっち、プールとは怪我のリハビリに使うものでしかなかったのだ。それにしても、このくさくさした気分に何という素晴らしいアイデアだろうか。それだよそれ、それしかねえよと更衣室は沸き返り、試合見学してこうかな、なんつっていい子ぶろうとする奴を引きずり込んで、みーずぎなんてこのサッカーパーンツでいーだろー、と五人でプールに行くことになった。一人が車で来ていたので全員押し入って、夏らしい曲をがんがんかけて、ふーざけんじゃねー、おーれだってこー見えてもむーかしはなー、と言ってみて、レギュラーの奴等と比べると小中高、人生のどの部分でも負けていて、ははーんこりゃもしや妥当なところか? おい、今の俺達は妥当な位置づけか? 答えろよ、加山雄三! という感じで東京は練馬区、その名も豊島園を目指した。
 
 薬水槽を抜け出すと、私達は海賊となった。どうだい、この肉体。スポーツ選手としては中の下の代物だが、ここではすっかり荒くれ者タイプじゃないか。それが五人揃って闊歩しちゃえば、七つのプールを縦横無尽の海賊じゃないか。ははは、何と爽快な気分。たるんだ腹のお父さんよ、そこをどけ。海賊の足音におののいてそこをどけ。誇示と恥じらいの薄布をまとった女衆よ、俺達を見ろ。海賊に連れ去られる名誉を夢見て、俺達を見ろ。力のない体を金に染めた髪でごまかす若者達よ、俺達の後ろに回れ。海賊に睨まれる屈辱を恐れて後ろに回れ。近年まれにみる快調さに酔い、何ならこのウォーター全部飲む? の勢いで進む海賊の前にそびえ立ったのは、豊島園名物飛び込み台だった。
「ようし、これから俺様が男ってものを見せてやる。ジャイアントってものを見せてやる」
 そう言って私は列に並んだ。大学体育会では冷や飯ぐらいの上、「やや鈍い」というレッテルまで貼られていた私ではあったが、高校時には後方宙返り飛び込みを完成させたスポーツ少年でもあったのだ。次々と飛び込んでいく奴等を見れば、助走を付けて勢いよくとか、潜って出てきたときにシンクロナイズド風とか、まさに主役の出番を待つ状況。ここで宙返りが決まれば、こりゃもう海賊じゃないよ、王様だよ、まったりとしたプールサイドは一気に戴冠式だよ。お転婆プリンセスも頬を赤らめるよ。列の先頭が近づき、視界に占めるプールの青の割合が増えていく。忘れていた興奮とは違うけれど、それに少しは近いものが流れた。
 そしてあっさりと、実にあっさりと、私の二つ前に並んでた奴が宙返りを決めた。すわ敵国王子の挑戦か、である。しかも驚くべき事に、プールサイドの群衆はぴくりともしない。民は世慣れてしまっていたのだ。冷静に対策を立てようにも時間がない。あまつさえ気持ちはかなり高ぶっている。21歳の夏、豊島園にて私が選んだのは「やるしかないだろ、二回転」だった。
 根拠がないわけではなかった。宙返りをマスターしたのは普通の高さの飛び込み台なので、この数メートルはある奴でなら、踊れるほど時間が余るはずだ。そこで踊りの方はちょっと諦めることにして、代わりにもう一回転ぐらいという話なら、くるくるっと受け入れられそうな気がする。そうだ、何しろ俺は海賊、そして王様、グランドでは何も出来なくても、ここでは選ばれし者。出来ないはずがないではないか。
 飛び込み板の先端に立つ。得意は後方回転なので、後ろ向きだ。次の順番を待つ人の列が眼に入る。お前ら王様の御弐回転の後に、まさか鼻つまんで足からドボンなんて真似はしねえだろうな? 最高潮の気持ちを一瞬静め、私は高々と空に舞った。
 悪くない飛び出しだった。一回転目を決め、「お、こっから二回転目だ」と思えるほどに冷静でもあった。そして落ちた。足からでも頭からでもなく、右側面を下にして。「こっからニ回転目だ」と思った直後に、たらいの底で思いっきり殴られたような痛みが右半身を覆った。
 
 それでも私の冷静さは、水面に顔を出すまで続いていた。水中にいる間は、ニ回転目だと思った瞬間にバランス崩したなと自分の失敗を正しく分析し、田舎海賊の夢が破れたことと太鼓持ちとしての再出発を受け入れ、それにしてもどう言い訳しようかと、時間稼ぎのためにちょっと水中にとどまる時間を長くさえしていたのだ。しかし水面にぷはっと顔を出した瞬間に、経験したことの無いぐらぐら感がやってきて、たちまち生きてるだけで精一杯となった。何しろ世界が揺れている。回転するというよりは世界が溶けていく感じである。ちょーっとこーれはまーずいんじゃないのー、と思いながら、根性のみでプールサイドに泳ぎ着き、爆笑と大喝采の友人の手にへたり込んだ。
 普段から怪我に接している生活というのは、こういう時が恐ろしい。立ち上がれず歩けずの私を見下ろし、友人達は「軽い脳震盪だろ、なめときゃ直るよ」程度のことしか言わなかった。しかも四人のうち二人は、じゃ俺達は失礼して、なんつって、ハイドロポリスとかいう、当時出来たばかりの曲がりくねりくねったウォータースライダーを浮き輪に乗って滑りまくりまくるという、21世紀の到来を身をもって予感させるアトラクションへいそいそ旅立ってしまったのだ。別に恨んでいるわけではないが、相田と遠藤、とここに名前を挙げておく。ちなみに相田はこの後出世し、最終的には公式戦のスタメンに名を連ねることになる。
 さすがに、と残ってくれた二人は、歩けるようにはなったがとても自らの力では泳げない私のせいで、流れるプールに活動範囲が限定され、さらにみんなで金を出し合って買ったイルカ状の浮き輪を私に独占された。「楽しいひとときに水を差しやがって」という態度を隠そうともしない。私はイルカの背に身を委ね、王様なんて望んだ私が馬鹿でした、私の人生はただただこのプールのように流れていくだけなの、みなさんのお慈悲にすがって流れていくだけなの、と出来る限り薄幸の青年を装い、冷たい視線を和らげる努力をしていた。
 それにしてもちょっとやばい。自分でも脳震盪のマヨネーズ和えぐらいだろと思っていたのだが、いつまでたってもぐらぐら感が消えないし、何だか耳の聞こえも悪い。つうわけでちょっと右の耳に手を当ててみて、それを見たら血がついていて、人生あそこにだけは行くまいと思っていた遊園地の救護室に運び込まれ、係員に「プールでニ回転を試みまして。いえ、本当は一回転のつもりだったんですが、前の前の奴がですね」などとぼそぼそ説明し、そのまま近くの病院に連れていかれた。診断の結果、脳震盪に加えて鼓膜が破れており、バランスが取れないのもそのせいだとのこと。途中のエピソードとしては、三半規管のテストとして「ちょっと目をつぶってまっすぐ歩いてみて」と言われ、医者がこちらを完全に甘く見ている物腰が腹立たしかったので、よっしゃ見とけ歩いたらぁとずんずん始めたはいいが、真っ直ぐじゃないどころか90度曲がってしまい、あまりの勢いに医者も制止できず、壁に激突したことぐらいである。
 診察室を出ると、連絡を受けた母親が待っていた。「なんて間抜けな子供を産んでしまったのだろう」という目をしていた。
 
 その後、前代未聞級の不謹慎な怪我ながら期待が薄い分あんまり怒られなかったり、部の大風呂で「グリーンジャイアント海に死す」と銘打って三度ほど公演したり、最終的にポセイドンに生まれ変わったというエンディングなのでイメージキャラクターもそれに合わせて変えたりしてる間に、私の位置付けは一つ上がり「試合がぎりぎりできる人」になった。しかしそこが限界で、それ以上の存在になることはついになかった。何度か「俺もあそこで鼓膜さえ破ってなきゃ、結構いいとこまでいけたんだけどね」と言ってみたが、それは全く受けなかった。記憶が薄れる前に、ここに記しておくことにする。




2011年7月15日金曜日

34才 ソックスマンの出張

皆さんに全くもって使いようがない情報をお伝えしよう。ノッポの出張は荷物が多い! イエス! ハイタッチ! 
まずパソコン。甘く見て貰っては困る。こちとらPは薬指で押す指長族だ。ちまたのコンパクトサイズなんざ、シュローダーがピアノ弾いてるみたいでちゃんちゃらおかしい (1参照)。まともに仕事をするならば、最低限B4サイズとなる。ドカベンの弁当箱みたいなノートPCをカバンから厳かに取り出す瞬間、私は自らのノッポを激しく自覚するのだ(図2参照)。

1194cmが小型ノートPCをつま弾いてちゃんちゃらおかしい



2:ノッポがノートPCを取り出す様を見事に表現する水島新司先生
(ドカベン第一話)

続いて寝具。ホテル備え付けの浴衣で済ます選択肢は無い。つんつるてんとかいうレベルではないのだ。なにかこう、浴衣をミニスカート風に着こなすお姉ちゃん、という出で立ち。腰に手を当ててウフン。強烈な自己嫌悪。でも着るとやらずにはいられない。さらに実際的な問題として風邪も引く。かくてスウェット上下がカバンへ。これがまた古代人が見付けたら奉納するぐらい雄々しい。194cmもあると人生変わるでしょ? と問う人に今こそお答えしよう。確かに変わる。具体的にはスウェットをカバンに入れたり出したりする方向にだが、あなたはそれに興味があるのかと。

3:古代人が奉納したと思われるスウェット(下)
奥にあるシーツらしきものと比較すると雄々しさがより鮮明に。

最後にパンツと靴下。12日まではそのままだという猛者ぶった奴もいるが、そんなのに限って「最悪コンビニで買えばいい」という世渡りがある。服をその辺で買って済ますという、低身長族特有の世渡り。私は違う。この一枚もし難事あらば、自宅までノーパンで過ごすのみ。清冽な覚悟で日々に対峙しているのだ。ただし、そういうスースーの事態は避けたいよねーという親しみ易いキャラでもあるので、出張準備はパンツ靴下の押し込み作業で締めくくられる。これがまた子供のタオルぐらいにはでかい。私のカバンが一部ぼこっと膨れ上がっていたとしても、中身は柔らかいので安心していただきたいのである。

とある出張。12日。破裂しそうなカバンを抱えて新幹線下車颯爽。もちろんグリーン車。でもそれはまた別の話だ。夜中まで宴席。ホテルに戻って、もう若くない自分。194cmの棺桶ってやっぱ特注かしらと思いつつ、スーツだけ死力で脱いでベッドへ。そのままお休みヤスシ。
翌朝。復活。俺まだ若い。シャワー。ますます生気漲る。こりゃもう棺桶は中止ですよ!えー、シークレットブーツに変更! 俺、2mになるわ! ツーエム! ていうかツーエム! 身長伸びるとサクセスが手に入るんだろ? そんで引っ込み思案だった性格も明るく前向きに変わるんだろ? 伸ばしてやるよ! あと6cmをよ! 心持ち踵も上げてツーエム気分。絶好調でシャワー終了。髪の毛拭きつつ「シークレットブーツ一丁! サイズ29cmで!」と頼む練習。ホントに在庫あったらどうしよう。で、パンツ持ってくんの忘れたのが現実。

さぁどうする。このツーエムな朝に、30時間連続着用パンツの再利用は避けたい。それではワンエム時代に逆戻りではないか。かといって今日一日ノーパンのスースーがツーエムスタイルかというと、それもゴメン被りたい。34才の秋、素っ裸でホテルの一室。右の手に、こちらは忘れなかった靴下一足。心中にやってみたいこと一つ。呼んでみなよ。正義の味方をさ。僕等のソックスマンをさ。そこだけそっとかぶせて残りは全開のナイスガイをさ。いいじゃん、それはツーエムの自分がやったってことなんだよ。

姿見には、たるんだ腹の194cmソックスマン。高さの関係上、カメラフレームに入るのは首まで。存外保たれる匿名性。194cmの運命が、僕をソックスマンにした。ストーリーに深みをもたせる宿命性。津々浦々パンツ忘れサラリーマンを救う優しき男。明日はあなたがの大衆性。そんなもん靴下じゃなくてパンツ持ってこいよ! 一筋の謎と不条理性。次々とヒーローとしての輪郭が際立ってくる。もう一度姿見。人生で有数に無駄な時間を過ごしたことにやっと気づく。いいよ、もうスースーで。それより早く行かなきゃ。でもその前に、昨晩も大活躍だった即席クイズ大会用のホワイトボードセットを片付けて。あとこないだ勢いで買ったキーホルダー。この超人ハルクのくそでかい奴。鍵どころか携帯よりもでかい奴。これもしまわないと。さらに昨日駅の土産屋で見つけた、リンゴの皮むきと八つ切りが一発で出来るグッズ。一夜明けて眺めても、俺に購入を抗う術は無かった。これ見て、費用対効果がどうのなんて考える人間に生まれなくて良かった。が、それとは別にどうやって持って帰ろう。いっそハルクに持たせようか。いやいやここは、こないだ買ったままになってる折り畳み式買物袋の出番ではないだろうか。
つまりそういうわけで、ノッポの出張は荷物が多くなるのである。イエス。

※「ソックスマン」は、私の敬愛するYちゃんが開発したものです。心優しきYちゃんのどこにソックスマンとしての潜在能力が眠っていたのか。私は人間の奥深さを感じるのです。

2011年7月2日土曜日

36歳の秋、ノッポは地下鉄のホームで

深夜の地下鉄である。ホームには残業帰りサラリーマンちらほら。常識はずれのノッポ登場に眉根一つ動かさないのは、世慣れたもんなのか疲れすぎなのか。ノッポしばし無想。缶コーヒーでも飲むか。残業で酷使した194cmの肉体に、糖分と眠気覚まし成分でも流し込んでやろうかと思い立つ。流し込むったってあんた、俺の食道はちょっとマジで長いぜー、などと疲れ気味の思考を抱えつつ自動販売機へ。ゴトンと出たものをガチャッと拾い、プシュッと開けて、いざ。で、ドサッと小銭入れを取り落とす。言わないこっちゃないぜ、やっぱ俺も疲れてるよなー、しかも俺の場合、拾うまでの距離もこれまた遠いぜー、と拾いにかかる。その前に邪魔な缶コーヒーをどっかに、あ、ここ丁度いい。ちょっとここに置いて。


トン。深夜の地下鉄。躍動感ゼロの風景に、その音が転機となった。散漫だった各人の神経は、今や缶コーヒーに一直線。見間違いじゃないよな。あいつ今、普通に置いたよな。ていうか自販機の上に。確かめないと。置く瞬間はいまいちちゃんと見てなかったけど、缶コーヒーを取る時はきっちり確かめとかないと。静かなる緊張の中心には、小銭入れをごそごそしまい込むノッポサラリーマン。あいつを明日、昼休みの話題にしてやる。昨日すげーでけー奴がいてさ、そいつどこに缶コーヒー置いたと思う? 自販機の上! 上だぜ! どういう空間利用法かっつー話ですよ! あいつんち絶対冷蔵庫の上に本棚あるね。んでエアコンの上にはフィギュア飾って。5分も持てば上出来の話題。それを得んがため、決して直接は向けない視線が、ホームの冷えた空気を貫いた。

 そんなわけで私は缶コーヒーに手を伸ばすと見せて、フェイントで髪を掻き上げてみました。やるじゃねえかという反応が、3つくらいあったよな気がした深夜の地下鉄ホーム。

2011年6月25日土曜日

27才の冬、ノッポのビジネスクラス③

そして今、私はアムステルダム行き機内。自分専用の荷物入れに鞄をしまい込んで、ふうと一息深呼吸。おやおや早速メニューが配られて。エコノミーさんご一行が配給の機内食をぱくつく間、我々は雲の上のレストランでディナーとしゃれこむわけですな。もう、早く言ってよ。カーテンの向こうにこういう世界があるなんてさ! ちっとも知らなかったじゃないの! という感情を、ほほぅ今日のワインはマルゴーかという表情にうまく転化させ、そんな表情を見せられ続けるキャビンアテンダントという生業を思った。
そして何よりこのフル・フラット・シート。愛おしい。フル! フラット! シート!とホップステップジャンプでご紹介してしまおう。今はまだ離陸前だから、ボクチン普通の椅子ですよという顔をしているが、私はこの孝行息子の本性を知っている。徹底的に調べたから知っている。上空にてシートベルトサインが消えたが最後、服従心もむき出しに、命じられるままレッグレストをにょっきりと飛びださせ、そのままオットマン付きソファとしてくつろぐもよし、ご就寝にあたってはフル! フラット!になるもよしと、あらゆる変身で父上をくつろがせる貪欲な親思いに変身するのだ。愛おしい! さすってやる! ここまでたどり着いた記念にさすってやる! 煙が上るほどにさすった。
一応フル!フラット!シート!についてご説明しておこう。簡単にね。背もたれ、座面、レッグレストが見事なコンビネーションで平らになる。残念ながら地面に対して水平とまではならいが、少し斜めに置かれたベッドと呼んで差し支え有るまい。つまり我ら騎士階級が移動中に被る負担を極力減らしつつ、さらに一つ上の貴族階級席になればそれはもう水平ですからもっと楽になりますよ、と向上心を煽ることも忘れない代物なわけである。
時は過ぎてシベリア上空。天気は晴れ。見下ろせば荒涼、全てが山か山あいの大地。世界は三角形で構成されている。かわいそうに。あんなデコボコで。フラットじゃなくて。フル! フラット!じゃなくて! それじゃ、かわいそうじゃない僕は、そろそろ194cmの体を平らにしちゃおっかな-、とボタンに手を掛ける。とっくにシートベルト着用サインは消えていたが、ちょっとしたリクライニング程度で自分をじらしていたのだ。これを騎士階級の嗜みと呼ばずに何と呼ぼう。
ぐぃんぐぃんと機械音も勇ましく椅子が変態を。おおおお、ちょ、あ、なんか足の方がにょきにょき伸びて、あれ平らに! このまでは俺の身体が平らに!
感想。えー動けません。身体と椅子の大きさが完全に同じ。で、足側には前の席があって、頭側には自分の席の囲いみたいのがあるんではみ出すわけにもいかず、がっちり固定。首はおろか、つま先を伸ばすことすら出来ない。冷凍カプセル内部ってこんな感じかしら。このままオランダに着いたら200年ぐらい経っていて、23世紀医療が僕の巨人という病を治してくれるのかしら。ついでに発症確実な筋肉痛と関節痛の方もお願いしたいんですが。さらにむかつくのがフラットのつぎはぎ部分。それぞれご丁寧に膝でないところ、足首でないところ、腰でないところにあって、なんかこう標準値、みたいな感じで私を責める。こんなにお前は乖離してるんだよ、人生まるごとはずれ値なんだよと。騎士なのに。ちょっと前まで俺は騎士だったはずなのに。
目玉だけきょろきょろさせる脇を、金髪碧眼乗務員が通る。目を配る雰囲気を察し、何となく息を潜める。分かった。ここは隠れ家なんだ。俺はアンネで奴等はゲシュタポなんだ。こうなったら間違っても水など注がせるものか。固い決意で毛布を目元まで引っ張り上げ、その世界観で潰すアムステルダムまでの空路。見張りの隙を付いてトイレに駆け込む194cmの心の内を、君は果たして知っているのか。

2011年6月24日金曜日

27才の冬、ノッポのビジネスクラス②

座席に深々と腰を下ろす。後方カーテンの向こうには平民達がエコノミーな席をエコノミーな顔で区分所有しているかと思うと誠に感慨深い。思えば長い道のりであった。194cmがエコノミークラスで欧米へ飛ぶ。この苦しさを、どれだけの人が理解してくれるだろう。最初の数回は良かった。「助けてー、せーまーいー!」などと笑っているうちにカリフォルニアの青い空を迎え、前の座席の背中に膝を突き立てて「あれ、なんかこの席リクライニングできないっすねぇ。じゃ、君12時間ずっと背中立てっぱなしで」とかやってれば、はやウィーンの森が眼下に飛び込んでくる。あとは腰痛膝通を一晩漬け込んでおけば筋肉と気合いで完治。おっしゃ、今朝のブレックファーストはブッフェでいきましょー! と我がブッフェ時のテーマソング「俺のお腹にオムレツ10個」を鼻歌で奏でるばかりであった。
それが20代後半を迎え、やや場慣れが進んだ頃から何かこう、サイコロキャンディの箱に入れられたかのような感覚が襲うようになった。こんな苦行を10時間とかやっちゃって、もし悟りでも開けちゃったらどうすんだこの野郎、布教とかめんどくせえじゃねえか、などとシッダルタの苦悩に思いをやってもまだナホトカ上空という感じで、エコノミー症候群という言葉は認知されていない時代ではあったが、こりゃあなんとかしねえと具体的にやばいなと思い始めた。
目を付けたのは誰でも考える通り、前方に巨大スペースの広がる、非常口のアテンダント前席である。それまでもリクエストは常にしていたが、既に埋まっていることも多く、運が良ければ取れる、といった程度であった。この確率を100%にすべく、まずは猛烈に早く並ぶことから始めた。こうなった以上は猛烈であること自体に重きをおく必要もあるので、朝のフライトなどは、まだカウンター自体が開く前から、その席逃さじと獣の目で陣取る。アジア便の場合など、飛行時間とどっこいどっこいぐらい余裕をもって空港に着くこともあった。そしてひたすらに待つ。横目に入るのは気安く離陸前のショッピングなどを楽しむ輩。俺の目、ビーム出すから早く視界から消えた方がいいよとつぶやいて、暇つぶし用の本に目を落とす。なにしろビームなので、燃えないように気を配った。
余談だが、非常口席に座る場合、緊急時には乗務員と共に乗客の脱出を補助する義務を負うことになる。つまり脱出順は最後。何でそんなことまでせにゃあならんのかと毎回思うのだが、了解しないと座らせてもらえないので、毎回にこやかにイエッサー、ボクみんなのためならいつでも笑って死ぬよ、である。その上、これは覚えている限りアメリカの航空会社だけだったが、「ついては英語で乗務員と意思疎通が図れること」が条件となったりする。ミスター、あなた日本人だし、悪いけどここまでのやり取り、割と中級編ぐらいだったけど、その点は大丈夫かと念を押される屈辱。空港カウンターの姉ちゃんに愛想ふりまきつつ、いやぁ大丈夫だと思うよ、俺英検3級だし。知ってる? エイケン、などとへらへらする屈辱。いずれも194cmの日本人に生まれつかなきゃ得られないけど、得たくもない経験だよね、と口笛吹いて、EXIT ROWと記される航空券を胸ポケットにつっこむのであった。この地道な努力が栄華を極めたのは、12年だった気がする。どんなに早くチェックインしても、すでに非常口席が押さえられていることが多くなってきたのである。今もって理由は不明だが、団体客が事前に登録している例が多かったように思えた。次なる手段は機内直接交渉。非常口席に座る見知らぬ人に、すいません、僕ってほら、この通りトールでしょ? 見たとこ君はショートのようだし、その席僕に譲ってくれないかな、とお願いするわけである。そこまでしなくても、と思うかもしれないが、楽しんでるのでほっといてもらおう。実際、快く交代してもらったり、にべもなく断られたり、デューティーフリーで助けてあげた日本人新婚さんが偶然座ってたので、さっき助けてあげたよねと顔に書いてお願いして、こんなことなら助けてもらうんじゃなかったと顔に書かれつつ承知してもらったりと、なかなか実りの多い日々であった。そして「機内座席交換、YESと言わせる交渉術」というハウツー本の依頼がそろそろ来てもいいんじゃねかときょろきょろしてた頃、エコノミークラスが中国人団体客でほぼ占有されている便に乗り合わせてしまい、話が全く通じずおずおず引き下がった結果、膝を痛めて医者通いを余儀なくされた。あいつら英語全く話せてなかったくせに非常口席座りやがって、見てろよ次こそはボディーランゲージを鍛えて、などと、しばらく捲土重来を期したリハビリの日々を過ごしていたが、ある日ようやっと、そんな馬鹿なことするより会社にビジネスクラス要求する方が簡単なのではということに気づき、実にあっけなく認められ、我がエコノミー苦闘の歴史に終止符が打たれたのであった。

2011年6月23日木曜日

27才の冬、ノッポのビジネスクラス①

私は絶好調であった。何しろラウンジがもう目の前なのである。しょぼけた飲食店にぶら下がったり、いきなりゲートに押しかけてたむろしたりの民族とは、もはや流れる血からして全く異なる存在である。一体全体どうして彼等はビジネスクラスに乗らないのかしら。不思議。広い席とか、手厚いサービスとか、ラウンジでの飲み食い放題に興味がない人種がいるなんて。それどころかあんなにいぎたなく眠り込んだり、大声で話したり。ほんとエコノミーさんたらおかしいの! いっそのこと全員丸ごとミンチにして昼飯にでも出したらどう? ビーフorヒューマン? なんちて。 エコノミーヒューマン? なんちて。それで全然人気無いの。牛以下。エコノミーさん牛以下。それより職員! もっと俺に微笑め。そしてアナウンス! ビジネスクラスのお客様はお先にご搭乗ってやつをもういっぺん繰り返せ。空港は人を階層化するという事実を、今が前面に押し出す時なのだ。ラウンジの自動ドアがずずっと開く。俺は今この世界に。上気した頬を受付姉ちゃんに気付かれないよう、内ポケットからゆっくりとチケットを取り出すのだった。

実りのひとときを終えてゲートへ。ラウンジでの飲食があれほど充実しているとは。危うく差額を食い尽くす勢いであった。ゲートは再びの人種混濁。どうにか着席。このいっしょくたな人達と僕は違うんだよ、ということを分かってもらうため、不必要に仕事の資料を取り出すなど神経を払う。それにしてもこの雑踏やいかに。段々とファースト、ビジネス、エコノミーなどというマイルドな区分で隔たられたくないという気持ちになってくる。確かに私は本日はじめてのビジネスクラスにウフウフしており、ビジネスというその響きに誇らしいものを感じていたが、考えてみたらこんな漠然とした名前もない。あくまで便宜上の区分であって、価値観と機会に応じてお客様の方で使い分けていただいております、という言い訳がある。どうして正直に貴族席、騎士席、平民席、といかないのか。何故なら俺は騎士。ぶよぶよ太った貴族なぞにはなりたくはないと、愛馬ボーイングに跨って、ワールドワイドなビジネスシーンで連戦連勝のおしゃれ騎士。そういうわけで平民、ちょっと通させてもらってもいい? 聞こえたろ? 俺、ご搭乗下さいの呼出かかっちゃった。鞄がぶつかったとしてもそれはあくまで194cmの身長のせいであって、いつもより心持ち高慢ちきになってるせいじゃないと、多分思うよ。

2011年6月4日土曜日

17歳の秋、マルイチの復路で


高校時代、サッカー部に所属していた。何故194cmでそのスポーツを、という問いかけは、それほど大した選手ではなかったことも手伝い長きに渡って私を苦しめたが、ついに自問へと移行した後は人間形成に役立ったりもした。ただしそれは別の話である。

さてそのサッカー部、練習が無法にきついという、どちらかというと勘弁してもらいたい特徴があった。中でも恐れられていたのが「マルイチ」と呼ばれる種目である。四つ先の駅まで走って往復という、あなた何もそんなアスファルトなと言いたくなる内容で、どう考えてもサッカーの美しさからは存在が遠い。その上開始前のコーチ訓辞は「次回マルイチのタイムを縮めるために今日もマルイチ頑張るぞ!そして明日も!」みたいな感じで、部員はすかさず「うぃっす!」である。今にして思えば「あれ? 間違えてサッカー部じゃなくて陸上部に入っちゃった!」というコントを壮大な仕掛けでやってるような部活動であった。もちろん部員一同マルイチが大嫌いなのだが、あらゆる場面で持久力の無さを指摘されながら、人が気にしていること言葉にするなよなー、ノッポだって人の子だぜー、と問題点から目をそらすだけだった私は、とりわけ苦手としていた。しかも走らされまくった唯一の成果として、俺は今後もそれほど速くはならんということだけは明確になっている。こうなると、いかに苦痛への保険をかけておくかが処世だ。私の場合は往復10km超の道のりを、俺は虫、俺は虫、と言い聞かせて走るのが常であった。ただしそこはやはり人間。しかも割と体力に自信のない人間なので、だいたい67kmぐらいの地点で集中力が切れ、あ、しまった俺人間だったじゃんと気付いてしまい、その瞬間に友から遅れを取るというパターンを飽きずに繰り返していた。遅れたら遅れたで残りの道のりは、栄光へとひた走る背中群を遠くに眺めながら、俺は敗残兵、俺は敗残兵、と必要以上のトボトボ感をまとって自尊心を保つ。この頃からマラソンを見る際は、集団から脱落する選手の振る舞いに目がいくようになった。
そういうわけでマルイチがある日は朝から胃のあたりがズシンと重い。高校210月のある日も、胆汁で煮染めたような顔で午前中を過ごし、コールタールのような足取りで学食へと向かった。ちなみにこの時点で複数本のリポビダンDを飲み干しており、小便の鮮やかな黄色具合も確認済みである。飽和するまでビタミンを取ってないと不安でしょうがなかったのだ。
で、長い体を折り曲げて、ぼそぼそチキン南蛮定食なんかをやっていると、この世のものとは思えない嫌らしい顔で、隣にナナヤマが座る。「どうぇいーっす、この長人間! 死ね! 死なねえか! じゃ、今日のマルイチ、俺の秘策に賭けてみねえ?」「もうさ、そういう空しい現実逃避は止めようよ。だいたいそのマルイチ対策シリーズは先週もやったけど、いっそ終点まで走るシブイチに種目をすり替えるとか、みんなでチョビ髭生やすチョビイチにして練習の目的をぼやかすとか、完全にネタが一回りしちゃってんじゃねえかよ。俺は今な、このライスを1ミリグラムでも多くグリコーゲンに転化することに集中してんだから話しかけんな」なんて会話で小手調べをしてるうちに、ずらずらとサッカー部面々が席に着き始める。本日の学食集合者は6名。いつもならここで集団的行為としての実のない会話に力を注ぐところだが、この日この時は違った。ナナヤマが真剣だったのである。奴は昨日のオフに入念な現地視察を行った結果、マルイチ最大の難所である復路の上り坂を回避する道を発見していたのだ。
ナナヤマの正式な誘いに対し、私が称賛と恭順のチキン南蛮一切れを差し出したのはもちろんである。他の連中したって常日頃から、日本の坂を全て無くす公共事業で衆院当選を狙うつもりだ、諸君は我が被選挙権を得る日を待たれよ。それって高校卒業後じゃないの? うひゃー! みたいなのばかりなので、即賛成である。そもそも本当に近道なのかとか、コーチに見つかったらどれほど恐ろしいことになるのか見当も付かないとか、お前マルイチ得意だからわざわざ近道すること無いんじゃないとかそういう冷静な疑問は、冒険への誘いが既に我々の頬を赤く染めてしまった以上、お門違いのこんこんちきなのであった。このくそったれな日常に、ちょっとだけ穴を開けたっていいじゃないか。テーブルを囲む176名。もはや胆汁に苦しむ中年高校生はいない。俺達は今日、あの空の下でハックルベリーになる。鼻の下を人差し指の腹でしゅしゅっとこすった後は、グランドでの再会を誓い合い、午後の授業へと散った。

私は過去最高のペースでマルイチを走っていた。何しろ脇道にそれるところを見られてはいけない。前半は死ぬほど飛ばす、結果的に普通に走るより疲れても本望、というのがハックルベリー達の約束だったのである。私にとっては興奮に加え、他5人の方が走るの速いから置いてかれないようにしなきゃとか、それにしても俺って気持ちさえ入ってれば本当はけっこう走れるんだなとか、いっそこのまま最後までいった方がコーチの覚えが目出度いんじゃないかとか、いろいろ考えることの多い往路であった。
折り返し地点を過ぎてしばらく、先頭を走るナナヤマに続きささっと全員右折。もしも俺がネズミだったらこの道に逃げ込むだろうなという感じの、細く、汚らしい道。皆の口元がそれぞれ緩んで、冒険の始まり。
果たして正式ルートから外れてなお、我々のペースは落ちなかった。学食での作戦会議では、右折さえうまくできちゃえばこっちのもんだから、後はゆっくりグリコでもしながら行こうぜということだったが、しゃかりき高校サッカー部員・裏道にてますます血気盛んの巻とご理解いただきたい。誰かが、これじゃあ近道の意味無いじゃん俺達、てなことを早い息づかいでボソリ。残りの5人はニヤリ。全体ペースは更にアップ。その俺達ってのに俺も入っているんだよなという喜びが、普段ならそろそろ挫折形態の検討を始める頃の私に力を与えた。
さらにそのまま12km。先頭ナナヤマが一瞬振り返って、ここだここだという顔で左を指した。クライマックス。説明によれば正式ルートでは坂になっている辺りに実はトンネルがあり、これを使えば復路の上り坂なしでゴールまで行けるらしい。坂なしで! 思えばこれまで何度あそこに墓標を刻んできたか。あの坂が回避できるならマルイチの心理的負担は1/3ぐらいになり、運勢は開け、光明は差し、俺のこのしみったれた高校生活を一転させてくれるに違いない。そしてその約束の地が、いよいよそこに。
左折。その刹那、私の中に近道とかトンネルとかそんなものはどうでもいいという気持ちが芽生えた。動機とルートに少々難はあれど、はじめてペースを落とさずにマルイチを完走できるかもしれない。いや、これはもうマルイチの問題ではない。もっともっと大きくて恐ろしいもののために俺は走っているんだ。ついてこい、フィラストラトス! メロスだ! メロスの心境じゃないのこれ!

道の先には、トンネルというよりガード下と呼ぶべき狭い通路が続いていた。入口に看板一つ。17才の秋、その内容を理解した際の心境を、私は未だうまく表す事ができない。
「けた下1.9m
身長1.7mちょぼちょぼの17歳達は、冒険の終わりに向かって跳ぶように駆けていく。出口から差し込む光に浮かんだ後ろ姿は、まるっきり青春の一こま。躍動する背中には羽が生えているに違いない。何しろ20cmまでなら浮いたってぶつからないんだから。その後ろを、首をこごめてよたよた走る1.94m。追いつこうにも体勢もが許さない。みるみる遠くなる集団に、「ちょ、ちょっ、待てよ、待ってよ、道、わかんねーよ」などと我ながら情けない台詞を吐き、よだれを垂らして食らい付く。お前が必死になると醜さも194cmなんだよねー、とは以前友人から言われた台詞であった。おまけにこの通路、かなり太い道を横切ってるだけあって、絶望的に長い。ついに前方から「ひゃっほう」なる反響を利用した奇声が聞こえてくるに及び、私は「だめだ」と呟いていつもの敗残兵と化した。

その後、住所表示と勘を頼りにゴールにたどり着くと、結局後ろから数番目。いつもそのくらいなのでコーチにも特段疑われることはなかった。膝に手を付き一切は空。向こうでは、今や無関係な世界の5人が俺達成し遂げちゃったぜ的に談笑している。「君は194cmであることがどういうことか知っているのか」。私の問いかけが言葉になることはなかった。

社会からの拒絶(本文とは別の箇所)

ここでお別れ(本文とは別の箇所)