2011年6月24日金曜日

27才の冬、ノッポのビジネスクラス②

座席に深々と腰を下ろす。後方カーテンの向こうには平民達がエコノミーな席をエコノミーな顔で区分所有しているかと思うと誠に感慨深い。思えば長い道のりであった。194cmがエコノミークラスで欧米へ飛ぶ。この苦しさを、どれだけの人が理解してくれるだろう。最初の数回は良かった。「助けてー、せーまーいー!」などと笑っているうちにカリフォルニアの青い空を迎え、前の座席の背中に膝を突き立てて「あれ、なんかこの席リクライニングできないっすねぇ。じゃ、君12時間ずっと背中立てっぱなしで」とかやってれば、はやウィーンの森が眼下に飛び込んでくる。あとは腰痛膝通を一晩漬け込んでおけば筋肉と気合いで完治。おっしゃ、今朝のブレックファーストはブッフェでいきましょー! と我がブッフェ時のテーマソング「俺のお腹にオムレツ10個」を鼻歌で奏でるばかりであった。
それが20代後半を迎え、やや場慣れが進んだ頃から何かこう、サイコロキャンディの箱に入れられたかのような感覚が襲うようになった。こんな苦行を10時間とかやっちゃって、もし悟りでも開けちゃったらどうすんだこの野郎、布教とかめんどくせえじゃねえか、などとシッダルタの苦悩に思いをやってもまだナホトカ上空という感じで、エコノミー症候群という言葉は認知されていない時代ではあったが、こりゃあなんとかしねえと具体的にやばいなと思い始めた。
目を付けたのは誰でも考える通り、前方に巨大スペースの広がる、非常口のアテンダント前席である。それまでもリクエストは常にしていたが、既に埋まっていることも多く、運が良ければ取れる、といった程度であった。この確率を100%にすべく、まずは猛烈に早く並ぶことから始めた。こうなった以上は猛烈であること自体に重きをおく必要もあるので、朝のフライトなどは、まだカウンター自体が開く前から、その席逃さじと獣の目で陣取る。アジア便の場合など、飛行時間とどっこいどっこいぐらい余裕をもって空港に着くこともあった。そしてひたすらに待つ。横目に入るのは気安く離陸前のショッピングなどを楽しむ輩。俺の目、ビーム出すから早く視界から消えた方がいいよとつぶやいて、暇つぶし用の本に目を落とす。なにしろビームなので、燃えないように気を配った。
余談だが、非常口席に座る場合、緊急時には乗務員と共に乗客の脱出を補助する義務を負うことになる。つまり脱出順は最後。何でそんなことまでせにゃあならんのかと毎回思うのだが、了解しないと座らせてもらえないので、毎回にこやかにイエッサー、ボクみんなのためならいつでも笑って死ぬよ、である。その上、これは覚えている限りアメリカの航空会社だけだったが、「ついては英語で乗務員と意思疎通が図れること」が条件となったりする。ミスター、あなた日本人だし、悪いけどここまでのやり取り、割と中級編ぐらいだったけど、その点は大丈夫かと念を押される屈辱。空港カウンターの姉ちゃんに愛想ふりまきつつ、いやぁ大丈夫だと思うよ、俺英検3級だし。知ってる? エイケン、などとへらへらする屈辱。いずれも194cmの日本人に生まれつかなきゃ得られないけど、得たくもない経験だよね、と口笛吹いて、EXIT ROWと記される航空券を胸ポケットにつっこむのであった。この地道な努力が栄華を極めたのは、12年だった気がする。どんなに早くチェックインしても、すでに非常口席が押さえられていることが多くなってきたのである。今もって理由は不明だが、団体客が事前に登録している例が多かったように思えた。次なる手段は機内直接交渉。非常口席に座る見知らぬ人に、すいません、僕ってほら、この通りトールでしょ? 見たとこ君はショートのようだし、その席僕に譲ってくれないかな、とお願いするわけである。そこまでしなくても、と思うかもしれないが、楽しんでるのでほっといてもらおう。実際、快く交代してもらったり、にべもなく断られたり、デューティーフリーで助けてあげた日本人新婚さんが偶然座ってたので、さっき助けてあげたよねと顔に書いてお願いして、こんなことなら助けてもらうんじゃなかったと顔に書かれつつ承知してもらったりと、なかなか実りの多い日々であった。そして「機内座席交換、YESと言わせる交渉術」というハウツー本の依頼がそろそろ来てもいいんじゃねかときょろきょろしてた頃、エコノミークラスが中国人団体客でほぼ占有されている便に乗り合わせてしまい、話が全く通じずおずおず引き下がった結果、膝を痛めて医者通いを余儀なくされた。あいつら英語全く話せてなかったくせに非常口席座りやがって、見てろよ次こそはボディーランゲージを鍛えて、などと、しばらく捲土重来を期したリハビリの日々を過ごしていたが、ある日ようやっと、そんな馬鹿なことするより会社にビジネスクラス要求する方が簡単なのではということに気づき、実にあっけなく認められ、我がエコノミー苦闘の歴史に終止符が打たれたのであった。

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